2012年08月17日

「古事記ナイト」メモ書き

先日、「古事記ナイト」というトークイベントに参加してきました。
以下は、話を聞きながらメモした内容の一部をまとめたものです。
私の個人的な理解で補足した部分が多いので、
当日の内容を正確に反映しているとは言えません。参考程度にご覧下さい。
いずれにしてもとてもおもしろかったです!
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・古事記は、稗田阿礼が誦習していた古い伝承を太安万侶が文字にしたとされている。しかし、口伝えの「おはなし」をただ単純に文字で書き起こしたのではない。流ちょうな日本語を全て漢訳すると「日本語」にならない。「言葉が心に及ばず」。全て漢訳しようと思えば可能だが、その際、何かが抜け落ちる。それで、文字に書き起こすときに変体漢文を使用した。訳しやすい漢文はそのまま訳し、訳せない表現は漢字の音を一字ずつ割り当てて表記した。

・仮に全て漢訳した際、抜け落ちる何かとは、読む人(日本人)を納得させる言語感。日本人らしい言語感性。古事記には、古代人の感性が色濃く残っている。

・古事記は、当時の日本が、中国を見習いながら律令国家を目指している際、日本の氏族の伝承(神話に基づいた伝承)をまとめたもの。氏族の伝承をまとめるということは、一族のアイデンティティをすくい上げることである。その伝承が「神の時代からそうであった」となれば、それは、その一族の現実を保証することとなる。

・神話は自分たちの現象を説明するもの。

・言葉というものについて。「語り」は語るたびに変化するが、文字に書き記されるとその「おはなし」は変化することなく残る。文字以前のもの、文字以外の表現は自由であるが、文字によって表現されるとそれは急に保守的・制御的になる。言葉によって社会化がなされるとき、その言葉が持つ冒険性は薄れる。

・言葉の「動かしがたさ」と最も格闘しているのが詩人だと思う

・古事記は、「私たち氏族のおはなし」を文字に書き記して残すことで、私たちの存在と現実を保証し、私たちの世界を社会化、秩序化するのが目的の書物である。また、それと同時に古事記は、言葉が生まれる段階以前の感性を通じて繊細に感じ取ったものも言葉で表現しようとしている。古事記は、言葉が本来持つ力が制御を超えてはみ出るのを恐れている書物。言葉の新しい領域を古事記は持っている。古事記は、人間があずかり知らぬ、言葉の原初的な領域が失われていない。

・繊細なもの、かすかなものを見きわめ、それを言葉にする力。聞き取れない世界の言葉を表現する微細な感性。これが問われるのが「言挙げ(ことあげ)」。ヤマトタケルは言挙げを誤り、神の怒りを買った。

・社会の規範内にある言葉は、自分の秩序内にあるものしか説明できない。本当のリアルはその外で起こる。

・スサノオはマージナル(境界)な存在。生まれてからずーっと別コードの言葉をしゃべる、原初生命に近い存在。
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私たちの社会は、言葉で書き記されたものが、
どんどん「消費」されていく方向へずーっと向かい続けていると思います。
言葉で書き記されたものが
「コンテンツ化」「情報化」され、流れ作業のように流通し、
用が済めば随時読み捨てられていっています。

私たちが社会を成り立たせていく上で
「分かりやすい言葉」
「きちんとした説明がなされている言葉」は、それはそれで必要です。
だけど、私は
「言葉ではまともに表現できないけれど、
読み手の心をかすかに揺らすものが含まれている言葉」も
やっぱり大事だな、と思いました。
自分が占いをするときの「言葉」はそういう言葉だなぁと思いました。

わたしはいつも、ホロスコープを見たときに
自分の心の中に浮かぶ色合いを言葉で表現しようとしています。
また、
私が投げかけた言葉を受け取って下さった方の心の中に
どんな色合いが生まれそうか、それも意識します。
言葉というものを使って
自分と読み手両方の心の色合いに働きかけようといつも格闘しています。
私にとって占いは、その人の「おはなし」「神話」を語ってあげることだと思います。

言葉を超えたものを見きわめ、それを言葉で表現する。
私にとっては至難の業だったりするのですが
だからこそおもしろいと思っています。
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たまたま最近、この本を読みました。
とてもおもしろかったです。

古事記 いのちと勇気の湧く神話 (中公新書ラクレ)古事記 いのちと勇気の湧く神話 (中公新書ラクレ)
大塚 ひかり

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古事記は、
創造と破壊が循環している世界の「おはなし」なのだなぁと思いました。
「おはなし」を通じて
森羅万象の「いのち」がぐるぐる循環しているさまに触れると
自分の「いのち」や自分が向き合っている「世界」も
この「おはなし」と同様、創造と破壊がただ循環しているに過ぎないのだなと思います。
そう思ったら、私の場合は生きていくのがちょっとラクになったりしました。
posted by 加藤まや at 01:23| 日記 | 更新情報をチェックする